今回は執筆者の公認会計士試験の合格体験記をお届けします。
- 執筆者の公認会計士試験勉強スケジュール
- 執筆者の公認会計士試験勉強方法
- 執筆者の公認会計士試験合格後
<プロフィール>
- 高校卒業後に公認会計士を目指して受験に専念するため大原に入学
- 入学後1年半で、公認会計士試験に当時最年少合格
- 公認会計士試験の会計学(簿記)をトップで合格
本記事を書いている私は公認会計士試験を当時最年少で合格しています!
- 公認会計士を目指すことを決意した人
- 公認会計士を目指すか迷っている人
- 公認会計士試験を勉強中の人
本記事で「一発合格者」とは、短答と論文をそれぞれ1回の受験のみで合格した人のことと定義します。短答については12月受験、5月受験のどちらでも良いですが本記事の執筆者が5月受験のため特別な記載がなければ本記事は短答5月受験、論文8月受験と考えます。
公認会計士一発合格者の割合は?
また各予備校も一発合格者の合格体験記はHP等にありますが、合格体験記ですので当然一発合格者全員の体験記が載っているということはありません。
試しに大原のパンフレットの2021年合格者のうち一発合格の人数を数えたところ、合格者として載っていた一発合格者は146名でした。
2021年の大原合格者は397名ですので、仮に一発合格者が全員パンフレットに載っているのであれば一発合格者は36.7%です。
ただし大原は「一発合格主義」を掲げていることから、他の予備校に比べて一発合格者の割合が高い可能性があります。
そのため全体に占める一発合格者の割合はおおよそ30%程度ではないでしょうか。
あくまで筆者の予想ですので、参考程度の数値と思ってください。
では、ここからは筆者の体験記です。
なぜ一発合格できたのか?
- 学習に専念できたから
- 大学受験に失敗してたから
- 一発合格しないと勉強が続けられないとわかっていたから
後年振り返って見ると、一発合格できた理由が上記3つです。
「学習に専念できたから」は環境面ですが、残り2つは精神面ですので一発合格に必要なのは勉強法や勉強スケジュールだけではなく、環境や精神面が非常に重要だと考えています。
具体的に3つの理由について解説します。
学習に専念できたから
公認会計士の試験合格に必要なものはたくさんありますが、その中でも勉強【量】は絶対的に必要です。
そのため公認会計士試験の受験に専念している人と大学生や社会人を比べると、必然的に専念している人のほうが勉強量、すなわち勉強時間の確保は容易です。
受験に専念しないと一発合格できない とは言いませんが、一発合格を目指すのであれば受験に専念したほうが合格可能性は上がることは間違いありません。
あくまで私の知る限りですが、大学生で一発合格した人は何人かいますが、働きながら一発合格した人は知りません。。。
大学受験に失敗してたから
大学受験に全滅したのはほとんど勉強してなかったから以外の理由はありません。ただ「勉強しなかったら試験は受からない」という当たり前のことを実感としてリアルに感じたのは大学受験の失敗があったからでした。
大学受験の失敗という挫折感がなければ、公認会計士試験の勉強は続けられなかったと思います。
また大学受験の全滅は当時かなりのトラウマになっていたので「もしここで勉強を辞めたらまた不合格になるかもしれない」という恐怖心が、私をさらに勉強に掻き立てのだと思います。
一発合格しないと勉強が続けられないとわかっていたから
そのため親と相談し、公認会計士試験の勉強に必要となるスクールの代金や勉強中の生活費を出せるのは一回の受験が限界ということになりました。
この経済的な制約はかなりのプレッシャーになっていましたが、逆に後がないという意味で良い意味で追い込まれており、この追い込まれ方が一発合格に繋がったのかと思います。
ちなみに上記経済的な理由から大学は国公立じゃないと無理と言われていました。
そのような状況でなぜ大学受験の勉強をほぼしていなかったのかは当時の自分が甘えたクソガキだったから以外の理由はないですね。。。
なぜ大原を選んだのか?
私が勉強した当時、CPA会計学院は失礼ながらマイナーな学校で、会計士の受験予備校は大原とTACのいずれかが基本、たまにLECとクレアール受講生がいるという状況でした。
そのため大原とTACに二択にしたのですが、受講料はほとんど変わりませんでした。
一方で大原は学校法人だったため大原に所属すれば学生、すなわち学割が使えます。
私は当時、神奈川に住んでおり大原の校舎である水道橋に行くまでの交通費は学割が使えない場合は半年で10万円を超えるものでした。そのため学割欲しさに大原を選びました。
なお横浜ではなくわざわざ水道橋に通ったのは、当時大原の横浜校に公認会計士のコースがなかったからです。
今でこそ「大原のここがすごい!」などのブログ記事を書いておりますが、当時は講師の評判や合格率とかはほとんど調べず【学割】のみをキーワードとしてスクールを選びました。
結果的には大正解ですが、今振り返ると結構な暴挙ですね。。。
どのような勉強スケジュールだったのか
私は2005年4月から大原に入学し、翌2006年5月に短答、同8月に論文、11月に合格でした。
ただし大原には2005年3月から入学前のテスト等で通い始めていたので、実質的な勉強のスタートは2005年3月からになります。
そのため短答までの勉強期間は1年3ヶ月、論文までは1年6ヶ月となります。
また、商業高校出身のため大原に入った時点で日商簿記2級は取得していました。ただし日商簿記の2級は高校2年生で取得しており、その後はロクに勉強していなかったので、大原に入ってから2級の範囲もかなり勉強し直した記憶があります。
短答を5月に受験して、論文を8月に受験するいわゆる「5→8」で受験しておりますが、戦略として5→8に絞ったわけではなく、私が受験した2006年当時、短答試験は5月の年1回しかなく必然的に5→8になりました。
勉強開始から合格までの勉強スケジュール
私の勉強期間は大きく入門期、答練期、短答直前期、論文直前期の4つに分かれます。また入門期は大原Two-Oneと公認会計士勉強入門期に分かれます。
それぞれの勉強期間について解説します。
大原Two-One期
2ヶ月と言いますが、正確には3月から授業がスタートし3月中は日商簿記2級の範囲を1ヶ月でやりきります。
そして2級の前提知識を得た上で、4月から日商簿記1級の勉強を本格スタートし6月の統一試験を受験、合格を目指すスケジュールです。
私の公認会計士の勉強はこのTwo-Oneクラスからスタートしました。
月曜日から土曜日は朝6時に起き、7時半の電車に乗って登校。朝9時から12時まで午前の授業、13時から19時まで午後の授業、19時から21時まで自習をして下校。家に着くのは23時頃。
日曜日は朝6時に起き、7時半の電車に乗って登校。朝9時から12時まで午前の授業、13時から16時まで午後の授業、16時から18時まで自習をして下校。家に着くのは20時頃。
5月のゴールデンウィークはもちろんなく、4月から6月半ばの日商簿記の統一試験までは毎日この繰り返しでした。
最終的に6月の日商簿記1級は不合格でした。
しかし商業簿記25点、会計学24点、工業簿記23点、原価計算9点、合計81点の足切り不合格だったため少なくとも合格するだけの力は2ヶ月で得られていたと確信しています。
原価計算が9点なのは問題が戦略的意思決定で解答欄が6つしかなく、しかも最初の方で間違えたら一発で終わるという問題で、一箇所だけ勘違いして2つ目の解答からミスってしまい、残り4つも芋づる式に間違えた結果でした。
当時は本当にツラい2ヶ月間でしたが、私はこのクラスに入って本当に良かったと思っています。
学習面ではこの2ヶ月間で財務会計論(計算)と管理会計論の大半を履修できており、その後もこの2科目は答練で常に高得点を出し続けられました。計算科目の2つを得意科目にできた分、苦手だった理論科目(特に会社法と監査論)に勉強時間を多く費やすことができました。
また精神面も鍛えられました。
すでに述べたとおり、大学受験時はほとんど勉強せずに不合格となっていました。その時の反省から公認会計士の勉強はしっかりやると入学当初から言ってはいましたが、当時はまだ【言っているだけ】でした。
そしてTwo-Oneの2ヶ月間は「絶対に勉強するんだ」という私の覚悟が試された2ヶ月間だったと思います。
このときの2ヶ月を乗り越えられたからこそ、長い公認会計士試験を戦い抜けたのは間違いありません。
なお本記事を執筆している2023年6月現在、Twitterで聞いてみたところTwo-Oneクラスはまだあるようです。
ちなみに2ヶ月で1級なのでTwo-Oneというコース名称です。
余談ですが、Two-Twoという2ヶ月で日商簿記2級を目指すクラスもあります。
公認会計士勉強の入門期
6月の日商簿記1級の受験が終わり、6月後半から公認会計士試験の勉強にシフトしました。
6月後半から12月末までのおよそ半年は授業と答練の繰り返しです。
とはいえ、財務会計論(計算)と管理会計論の計算科目は日商簿記1級で鍛えられていましたので、計算科目は主に答練を解いて復習のサイクルを繰り返すのみで、主な勉強は財務会計論(理論)、監査論、会社法の3つに集中しました。
6月後半から12月末で財務会計論(理論)、監査論、会社法の3つの授業を一周させつつ、財務会計論(計算)と管理会計も復習や簿記1級ではやらなかった単元等の追加勉強があるため、ひたすらインプットを重ねる日々でした。
月曜日から土曜日まで、朝6時に起き、7時半の電車に乗って登校。電車の中では主にテキストや問題集で暗記作業。朝9時から12時まで午前の授業、13時から19時まで午後の授業、19時から21時まで自習。21時頃の電車に乗って下校。電車の中では暗記作業。家に着くのは23時頃。
日曜日は完全にオフとしていたので、昼過ぎまで寝ていたり適当に過ごしていました。
日曜日をオフとする習慣は、最終的には勉強が終わるまで続く習慣となりました。
最初の頃は日曜日も勉強しようと思っていたのですが、そもそも大原が休みだったことや当時は自宅で勉強することが苦手だったので日曜日は勉強しないと割り切ることにしました。
結果的には日曜日を休みにすることで、体力的にも多少の余裕ができましたし「頑張れば日曜日に休める」と精神的にも少し余裕ができたので、この作戦は大正解でした。
公認会計士勉強の答練期
年が明け、1月から答練期に入ります。
財務会計論(計算、理論)、管理会計論、会社法、監査論はひたすら答練→解説→復習の毎日です。また同時並行で租税法と選択科目の経営学の授業が開始されます。
1月から3月末までおよそ3ヶ月間がこの生活です。
正直、この時期が一番辛かったです。
一度授業は受けているものの、まだまだ理解も暗記も追いついていない単元ばかりでしたので答練の点数も伸びないし覚えたことから忘れていくので精神的にかなり追い詰められました。
特にこの時期の答練の点数はお世辞にも褒められた点数ではありませんでした。
Two-One期の貯金があったため、計算科目は常に高得点をキープしていましたが理論科目は良くて平均点、悪ければ平均を下回ることも珍しくありませんでした。
計算科目が良かったので持ちこたえられましたが、計算科目の点数も悪ければおそらく心が折れていたと思います。
また全7科目を同時並行でこなす必要があるので、体力的にもとにかくきつかった時期です。
そのためすでに述べたとおり、日曜日は絶対に勉強しないようにしました。おそらく日曜日も勉強したら体力が持たなかったと思います。
なお1日のスケジュールは入門期とほとんど変わりません。
月曜日から土曜日まで、朝6時に起き、7時半の電車に乗って登校。電車なの中ではとにかく暗記。朝9時から12時まで午前の授業ないし答練&解説、13時から19時まで午後の授業ないし答練&解説、19時から21時まで自習。21時すぎの電車に乗って、電車の中で暗記し続ける。家に着くのは23時頃。
日曜日は完全にオフとしていたので、昼過ぎまで寝ていたり適当に過ごしていました。
ちなみにこのときの11月に日商簿記1級を再度受験し合格しています。
当時は受験時代が面倒なので受ける気なかったのですが、先生から「悪いこと言わないから受けとけ」と言われて受験しました。
結果として会計士試験に合格しましたが、今思えば先生は会計士試験に不合格だった場合を危惧して1級合格をさせておこうと思ったのかなと思います。
短答直前期
4月から短答本番となる5月末までは短答の勉強に特化しました。
そのため勉強科目も財務会計論、管理会計論、監査論、会社法に特化しており、租税法と経営学は完全にノータッチです。
毎日、答練や肢別の問題集を解く→答え合わせ→間違っていたところや合っていても理解に自信がなかった問題は解説を読んで、さらにテキストまで戻って復習をひたすら繰り返していました。
5月のゴールデンウィークに入る頃からようやく理論科目の答練の点数も常に平均点を超えるようになってきました。
今思えば勉強した成果がでたのが本番の3週間前なのはかなり綱渡りだったと思います。
1日のスケジュールも変わりません。
月曜日から土曜日まで、朝6時に起き、7時半の電車に乗って登校。電車の中ではとにかく暗記。朝9時から12時まで午前の授業ないし答練&解説、13時から19時まで午後の授業ないし答練&解説、19時から21時まで自習。21時すぎの電車に乗って、電車の中で暗記し続ける。家に着くのは23時頃。
日曜日は完全にオフとしていたので、昼過ぎまで寝ていたり適当に過ごしていました。
唯一今までと違うのは電車の中の暗記作業が短答に特化した暗記になった点ぐらいです。
論文直前期
短答が終わり、自己採点した結果 企18/20、監 13/20、管19/20、財32/40 合計82/100の正答率のためよっぽどのことがない限り短答突破が確定。最終的には監査論が12/20ですが、それでも8割超えで短答は合格。
※私が受験した当時の配点はすべて1問5点だったため、正解数がおよそ7割超えれば合格でした。
そのため6月から8月の論文本番まではひたすら論文対策です。
まず急務だったのが短答特化したために完全に忘れた租税法と経営学を思い出すこと。経営学は範囲が多くないのでなんとかなりましたが、租税法の思い出しは本当に苦労しました。
途中式の書き方とかほとんど忘れてて、ゼロから覚え直しでした。
とはいえ理解はある程度できていたので覚え直しは必要でしたが、全くわからないということはなかったです。
財務会計論(計算)と管理会計はTwo-One時代の貯金をキープしてたので余裕がありました。
財務会計論(理論)、監査論は全単元の復習に1日、企業法も3日あればできる程度に極まってきました。
この頃になると授業はあまりなく、答練の解説以外はひたすら自習して、たまに先生に質問に行くぐらいでした。
それでもタイムスケジュール変わりません。
月曜日から土曜日までは朝6時に起き、7時半の電車に乗って登校。電車の中ではとにかく暗記。朝9時から12時まで午前の自習、13時から19時まで21時まで自習。21時すぎの電車に乗って、電車の中で暗記し続ける。家に着くのは23時頃。
日曜日は完全にオフとしていたので、昼過ぎまで寝ていたり適当に過ごしていました。
また大原の公開模試もこの頃でした。
当時の平均点と点数のメモが残っており、せっかくの機会なので公表します。
全国平均 | 筆者点数 | 順位 | 上位% | |
---|---|---|---|---|
会計学 | 150/300 | 181/300 | 176/1,316 | 14.3 |
監査論 | 42/100 | 64/100 | 9/1,410 | 1.0 |
企業法 | 51/100 | 77/100 | 6/1,312 | 0.5 |
租税法 | 48/100 | 78/100 | 21/1,375 | 2.0 |
経営学 | 52/100 | 86/100 | 6/1,100 | 0.5 |
総計 | 346/700 | 486/700 | 12/1,317 | 0.8 |
得意の会計学だけ点数が悪い理由は当時、会計学は得意と調子に乗っていて勉強が疎かになっていたことが要因です。
余談ですが、当時の大原ではこの公開模試で20位以内に入ると翌年の授業料が免除になるので、1回落ちても何とかなるチケットが手に入っていました。
勉強計画の立て方と進め方
毎月月末に翌月の勉強スケジュールを決めて、手帳に書いてました。
あまり細かいスケジュール作るのは面倒だったので手帳への記載はシンプルで、例えば「監P◯~P◯」ぐらいしか書いてませんでした。
スケジュールを考えるときは、まず授業があるときは次の日に授業内容の復習をするようにしました。
授業の復習以外では、答練のスケジュールを確認してその答練の範囲を答練実施日に間に合うようにスケジュールを作っていました。
勉強を始めてから3月末の短答直前までこのスタンスです。
4月以降は答練の範囲も「範囲指定なし」となってくるので、勉強スケジュールもドンドン雑になっていきました。「今日は監査論のテキスト全部と会社法の機関の答練全部」と1日の勉強範囲をなるべく広くして何周も何周もテキスト、問題集、答練を見直すようにしました。
最終的に4月以降はほとんど「監査論テキスト」など、単元の指定はやめて科目と使う教材を決めるぐらいになっていました。
何度も何度も繰り返すことは勉強の極意ですので、いま振り返るとこの方法で何周もテキストや問題集を回したのが良かったんだと思います。
どのような勉強法だったのか?
私の勉強方法は理解より先に暗記でした。
私は会計士の勉強を始めるまでロクに勉強をしたことがなかったので、そもそもの勉強方法がわからず、また理解力が乏しいことを自覚していました。
そのため難しいことを理解するぐらいなら、まずは覚えてしまおうという精神の元ひたすら丸暗記しました。
具体的には「大原で配られる問題集の答えを丸暗記」です。
ちなみに理論科目は論文直前の8月は問題集を見ずに最初から最後まで暗唱できるまでになっていました。
あとは丸暗記した内容でひたすら答練を解いて、見直しと復習の繰り返しです。
答練を見直す際はかならずテキストや問題集まで戻って見直していました。
丸暗記からスタートするのは正直あまり効率の良い勉強方法ではありません。
しかし今までの人生で全く勉強してこず、理解力に乏しい私にとっては結果として最も効率的な勉強方法でした。
もちろん最終的には単なる暗記ではなくキチンと理解までしたうえで本試験に挑んでいます。
理解してから暗記のほうが効率は良いと思いますが、勉強に慣れていない人こそ暗記から理解に進む方が結果的に効率的な勉強法になると今でも信じています。
計算科目の学習方法とポイント
すでに書いたとおり計算科目すら最初は丸暗記していましたが、問題を解く→解答を丸暗記→覚えた方法で問題を解くを繰り返していました。
同じ問題を4,5回解いてようやく問題が解けるようになり、その後初見の問題も覚えた内容を使って問題が解けるようになって、ようやく「この計算はこういう意味だったのか」と理解できるようになりました。
私は他の記事でも「最低3回は同じ問題を解く」と言っていますが、私自身は4,5回でようやく理解できるようになったレベルですので最低3回と繰り返し言っています。
その他財務会計論と管理会計論の具体的な勉強方法は別記事がありますのでぜひ参考にしてください。
理論科目の学習方法とポイント
暗記→暗記→暗記と繰り返してようやく理解できるようになりました。
短答の問題も間違えたら間違えた内容をまずは覚える。
科目ごとに細かい違いはありますが、私は本当にこれだけを実践して合格しました。
点数が伸び悩んでいる人は騙されたと思って、ぜひ問題集やテキストを丸暗記してみてください。
モチベーションを維持するための工夫
会計士試験の勉強は長く険しい道程ですので、勉強に対するモチベーションはスクールに講座を申し込んだときがMAXでその後下降を続け、本試験の1,2ヶ月前にようやく復帰してきます(筆者の個人的見解です)。
私もモチベーションを維持するために合格後のことを考えたりと色々なことを試みましたが、どれも大した効果はありませんでした。
そのためモチベーションがなくても勉強できるようにするという考え方に切り替えました。
モチベーションがなくても勉強するようにするためのポイントは勉強をするためのルールを作って遵守することです。
私が自分自身に課したルールは
- 毎日のノルマを作る
- 勉強する場所を決める
- 週1回は休む
です。
週1回休むことはすでに述べたとおりですが、他のルールとして毎日ノルマと勉強する場所を決めました。
自分で決めて、自分でやる。それだけです。
本試験の体験談
長い勉強生活を終えて、本試験に挑みます。
不合格でも翌年の受験料全額免除の切符を持っていましたが、それでも翌年受験できるかはわかりませんでした。そのため、最初で最後の人生をかけた公認会計士試験の本番が始まりました。
短答
何度か深呼吸して、ようやく名前を書ける程度には手の震えが小さくなりました。震えが止まったのは実際に問題を読み始めて集中し始めてからでした。
一番緊張したのは、やはり最初の企業法。
手が震えて名前が書けなかったのは企業法だけでそれ以降は手は震えてましたが名前が書けないほどではありませんでした。これは企業法が思ったよりできた自信があったのも大きいと思います(事実19/20で9割得点)。
本試験の前後で意識していたことは以下2つ。
- テキストは見直さない
- 事前にトイレに行く
テキストは見直しても不安になるだけだったので見ないようにしました。空いている時間は何をするでもなくボーッとしたり、何度もトイレに行っていました。
特にトイレは混むと思ったのと、私はトイレが近くて本試験中にトイレに行きたくなるのを絶対に避けたかったので試験中以外は7割ぐらいトイレに篭ってました。
また、一緒に勉強してきた友人とはほとんど話しませんでした。特に意識していたわけではなくシンプルに余裕がなくて話そうと思わなかっただけです。
論文
短答で多少場馴れしたのか名前が書けないほどに手が震えることはありませんでした。
意識していたことは短答と同じで
- テキストは見直さない
- 事前にトイレに行く
この2つ。
また当時一緒に勉強してしていた友人は短答で全滅したので、論文を受験したときはボッチでしたので友人と話すとかは考える必要すらありませんでした。
やはり体力は相当使っていたようで、本試験中は21時前には寝てました。
そして試験前にユンケルを飲んでいました。
試験が終わって
3日目の試験が終わった後の感想がMixiに残ってたので紹介します。
今回の試験はまぁムズかった・・・つーか知らん問題続出。
多少は知らない問題出ること覚悟してましたが、丸々出ることは正直想定外。
まぁいいんですけどね。
個人的にはテキストに載ってるような典型論点・・・というかできなきゃいけないとこ? はできたんでいいです。
なんつーか「あー、もっと勉強しときゃよかった!」っていう後悔はなかったので十分満足です。
合格したときの喜びと感想
合格発表当日はPCから発表を見ることにしました。
当時住んでいた実家から財務局まで片道2時間近くかかるため、仮に不合格だとうっかり電車を止める事態になりかねないなと思ったためです。
一方で合格発表数日前に受験票を紛失していたことに気づき、受験番号を記憶に頼る事態が発生してました。
全然繋がらない公認会計士・監査審査会のHPになんとかアクセスして自分の記憶にある番号を発見するもいかんせん、記憶ベースなのでいまいち確信が持てない自分。
大原の先生に電話して「僕の受験番号何番でしたっけ?」って聞いた生徒は多分私が初めてだと思います。。。
その後各監査法人から「合格おめでとう」のメールや電話が来たので間違いなく受かったとの確信も得ました。
ただあまり現実感がなくてポカーンとしていた記憶があります。
むしろ監査法人のエントリーシートが真っ白だったり、これから就活の面談の練習をしなければいけないことを考えると憂鬱な気分でした。
当時は11月20日に合格発表、11月24日に就職の面談&内定、12月1日に入社と今振り返ってもおかしいスケジュールでした。
私が合格した2006年はJ-SOXや四半期が始まる直前だったため、監査法人の就職面接は超売り手市場だったので、面接1回で内定をもらえるという今振り返ってもやっぱりおかしい状況でした。当時はカネボウ事件で中央青山が解体した影響も大きかったと思います。
そのため、合格したと思ったらすでに監査法人に入所していたため合格の喜びに浸る日まもなく気づけば監査をしていました。
合格後
2006年12月に監査法人に入所し、2019年に退所。1年間だけ会計コンサル会社に勤め、今はとある上場会社で財務経理部長をやっております。
監査法人
監査法人時代は会計監査、IT監査、IPO監査など多種多様な業務を行いました。
監査法人の体験談や給料等は下記記事にすべて書いたのでぜひご覧になってください。
会計コンサル
コンサル会社では決算体制強化や上場準備会社の支援、システム導入支援を行いました。
人間関係等で色々あって、たった1年間で辞めてしまいましたが、パワポ資料の作り方やシステム導入の進め方などはこのコンサル会社で習ったことが今になって役立っているなと思います。
ですが私は金輪際コンサル会社に勤めることはないと思います。
コンサル会社に勤めて得た最大の気付きは「私はコンサル向いていない」ということです。
詳しいことはいつかブログ記事にしたいと思います。
上場会社の経理
今の会社では決算や監査法人対応などの経理的な仕事はもちろん、新規業務の業務フロー作成やシステム導入等々の内部統制絡みの仕事も行っております。
むしろ経理周りは部内のメンバーにどんどん任せて、最近は内部統制関係の仕事と監査法人との交渉ばかりやっていて、決算作業が片手間になりつつあるので少し意識を締め直しているところです。
まとめ
- 一発合格できたのは切羽詰まってたから
- 大原選んだ理由は学割
- 最初は計算科目をひたすら勉強。理論科目は丸暗記からスタート
- 本試験では手が震えて名前が書けない
- 受かってからは就活でバタバタ
- 監査法人→コンサル→事業会社経理で今に至る
一発合格が良いのか悪いのかと聞かれれば良いと断言します。
受験勉強は早く終わらせたほうが精神的にも経済的にも良いに決まってます。
本記事が少しでも一発合格を目指す人の支えや参考になれば幸いです。
では、今回ここまで。最後まで読んでいただきありがとうございました!